某一学生の雑記

日々考えてることを書きます。貧困問題や労働問題を一応中心に学んでいます。個人的には、メディアやジャーナリズムや教育に興味ありです。

社会を変えたいという強い主体たち問題

やはり、毎日書くなどという目標を掲げずに正解だった。今週はいろいろと文章作成等に追われて大学が始まったばかりだというのに忙しい日々だった。

 

そんなことは置いといて、タイトルの、「社会を変えたいという強い主体たち問題」について私見を述べたいと思う。最近はそうでもないが社会を変えたいという学生に数多く会ってきた。そういう人たちは、ボランティアであったり若者の政治参加への意識を高めることなど様々であるが、何かしらの方法で社会を変えたいと思い行動を起こしている。

 

そういう人たちと話をすると、いつも思うのが、「社会を変えるってどういうこと?」ということである。恐らく、そういう人たちは今の社会に何かしらの不満や問題意識をもっいてそれを良い方向へと変えるというのを社会を変えると言うのだろう。でも、社会を変える=良い方向というのには大いに疑問を感じざる得ない。

 

別に、今の社会に対して不満をもっておらず、むしろ満足している人もいるだろうし、良い方向だと思っていることが他の人からすれば、悪い方向になることだってある。あたりまえのことだがこれに気づいていない学生は結構多いと思う。

 

そして、タイトルの後半の強い主体たちというのは、社会を変えたいと思う学生の中でも特に疑問を感じる人たちのことである。私が会ってきた社会を変えたいという学生は、高学歴でお金に関して特別不自由していないような人が多い。世の中には、社会に対して何か不満や問題意識をもっていても、声を挙げることができない人も多くいる。そういう人たちの存在には目を向けず、自分たちは社会を変えるんだというのは視野が狭すぎるのではないか。

 

そして、社会を変えたいという学生はそういう自分に酔っている感じがする。

 

例えば、SNSで、自分の活動について自慢げに書いたり、周りの友人に自分の活動を自慢げに話すといったことである。こういうのは見ていて本当にうんざりする。さらに、特に今の40代以上の人はそういう学生をよく褒める。「若いのにすごいね」とか、「自分が学生の頃はそんなこと思いもしなかったよ」などというものである。

 

大人たちがそういう学生を褒めすぎることもどうかと思うが、そういう学生にとって大人に認められるということはとても気分がいい。その気持ちが分からなくもないが、勘違いした学生は、先に書いたようにどんどん自分に自信をもちそれが肥大化していく。

 

そうして、強い主体として現れるようになる。口では、「社会を変えたい」と言うがそれは、自分が思う社会への不満や問題意識以外には目をくれず、自分が思う社会に変えるために行動し、時々周りから褒められて自信をもち、やがて、「自分はなんてよいことをしているのだろう。他の人ももっとやればいいのに」などと言い出す。

 

もちろん、全ての学生がこういうわけではないがいるというのも事実だ。そして、そういう学生が10年後や20年後に例えば政治家なんかにでもなったりしたらと思うとゾッとする。そういう学生たちが社会を変えられるとも思わないが確実に強い主体をもった学生はいるし、そういうのに憧れをいだく高校生や中学生もいるので本当に怖い。やや中途半端な終わり方ではあるがここまで。

 

※あくまで私見です。