そうだ地元、帰ろう
先日の飲み会でのこと。
ウイスキーのロックを飲みながら友人が、「故郷っていう感覚がないんだよね~」と言った。
その友人は、生まれも育ちも東京都内で現在も東京都内の実家で暮らしている。
一方僕は、高校を卒業を機に上京し、東京都内で暮らしている。たまに地元に帰ると、「ここが自分の故郷だなあ」という感覚に陥る。この違いは一体なんだろうか。
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ある中学校の授業でのこと。
先生は生徒を前にして言う。
「地域の課題を見つけてそれを解決にすればどうすればいいか考えてみよう」
出てくる課題は、「ポイ捨てが多い」、「道が狭い」、「地域とのつながりがうすい」など。
出てくる解決策は、「あいさつ運動をしよう」、「ゴミ拾いをしよう」、「イベントをしよう」など。
それって本当に自分の地域の課題なの?
そもそも地域って何?
ほとんどの中学生は、自分の住む地域から出たことはないだろう。
隣町に買い物に行くとか、親戚の家に行くぐらいでしか他の地域に行く経験はないだろう。
そんな中学生が自分の地域の課題を考えるなんてのは、不可能に近い。
僕たちが、何かの課題を発見しようとする時、ほとんどの場合、何かと比較する。
比較するモノや考えがあって初めて、僕たちは「これが課題なんだ」と認識する。
逆に、比較するモノや考えがない時は、何が課題なのかを発見することは難しい。
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僕は、2次会のカラオケでさっきの話を友人に持ち出した。
「故郷っていう感覚がないのは自分の住んでいるところと比較することができないからじゃないの」
友人は、デンモクで次の曲を探しながら答えた。
「そういうもんなのかなあ。でもよく分からない」
僕は答える。
「僕は、大学進学で上京して初めて故郷という感覚を得た」
僕は、高校の頃まで自分の住む地域から出たことはなかった。友だちと一緒に遊んでも、何とも感じなかった。でも、上京してから地元に帰って遊ぶ時は、「懐かしい」という感覚に陥る。
それは、どこかで高校まで過ごした地元と今住んでいる東京とを比較しているから生じてくる感覚なのではないだろうか。
高校まで一緒に過ごした友人や高校まで考えてきたことと、東京で一緒に過ごす友人や東京に来てから考えることを知らず知らずのうちに比べているのだ。
僕は、友人が歌う、ケツメイシのさくらを聴きながら、「そういえば高校の時のアイツもケツメイシのさくらをよく歌ってたなあ」と思った。